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鎌倉・由比ガ浜の近くにある、鎌倉文学館に行きました。
現在開催されていうrのは、特別展「生誕150年 漱石からの手紙 漱石への手紙」
文豪の夏目漱石が家族や知人に宛てた直筆の手紙を中心に足跡をたどる生誕150年記念展「漱石からの手紙 漱石への手紙」が代表作「こころ」の舞台となった鎌倉市の鎌倉文学館で開催されている。漱石が送った手紙や受け取った手紙など約80点を展示。手紙の内容や筆跡などから当時の漱石の息吹が伝わってくる記念展となっている。7月9日まで。
鎌倉・由比ガ浜の近くにある、鎌倉文学館に行きました。
現在開催されていうrのは、特別展「生誕150年 漱石からの手紙 漱石への手紙」
文豪の夏目漱石が家族や知人に宛てた直筆の手紙を中心に足跡をたどる生誕150年記念展「漱石からの手紙 漱石への手紙」が代表作「こころ」の舞台となった鎌倉市の鎌倉文学館で開催されている。漱石が送った手紙や受け取った手紙など約80点を展示。手紙の内容や筆跡などから当時の漱石の息吹が伝わってくる記念展となっている。7月9日まで。
◆希望や不安つづる
漱石は慶応3(1867)年、江戸に生まれ、英語を学ぶため、成立学舎に入学。その後、帝国大学英文学科に入学した。この前後、友人で畜産学者の橋本左五郎に宛てた英文の手紙には「過去の欠陥は、未来の勤勉で補おうと思う」としたため、将来への希望と不安をつづった。
この頃から郵便が発達したため、漱石は盛んに手紙を送るようになる。
落語を通じて、気の合う仲間となった俳人の正岡子規へも手紙を送っており、進学した帝国大学の学年末試験を途中放棄して帰郷した子規に、芝居を見に行き、途中で腹が痛くなったことや、落語家の三遊亭円遊も見に来ていたことなど、他愛もない様子をつづっている。
特別展では、家族に宛てた手紙も紹介。明治33(1900)年、英語研究のため、英国留学を命じられた漱石は、孤独のために、心を病んだという。
その間、心の支えとなっていたのが家族との手紙のやりとりで、妻の鏡子宛ての手紙では、初めてクリスマスを体験したことを「日本の元日の如くすこぶる大事の日」と記し、ロンドンはにぎやかだが、日本晴れのような空は見られないなどと書いた。
帰国後、小説「吾輩は猫である」を発表すると、たちまち評判となり、人気作家の仲間入りを果たす。記念展では「吾輩は猫である」の原稿も展示している。
◆家族の存在は安らぎ
一方、流行作家として多忙な日々を送る漱石にとっても、家族の存在は安らぎを与えるものだった。避暑地の鎌倉に滞在していた次女の恒子に宛てた手紙では「大仏の中には入ったかい。(鶴岡八幡宮の)鳩(はと)には餌をやったかい」と優しく語りかけ、長女の筆子宛てには「(鎌倉の)海へ入りたい」と記している。夏の間、漱石は東京と鎌倉を頻繁に往復し、子供たちに何通も手紙を送ったという。
また、親交のあった作家、芥川龍之介が漱石に宛てた手紙では、小説「芋粥(いもがゆ)」の出来に苦悩している様子が赤裸々に記されている。大正5(1916)年12月、漱石の危篤の知らせに芥川が打った電報もパネル展示されている。
同館の担当者は「漱石は文豪としてだけではなく、手紙の名手としても知られている。友人や家族、門下生に宛てた手紙から、漱石の内面をうかがい、見つめ直すきっかけにしてほしい」と語っている。
~産経ニュースより~
漱石全集には約2500通もの漱石の手紙が収録されているほど漱石は手紙が好きだったようです。
そして書くのももらうのも好きだったそうです。
手紙はその人の人柄もよく見え隠れしますから、人物像を探るにはいい材料なんですよね。
今回は漱石の生誕150年を記念して漱石の手紙を軸にした展示。
ちなみに現存するもっとも古いものは英文です(笑)。
また、鎌倉文学館ですから、鎌倉にゆかりのあるものも展示。
新潮文庫で最も売れている漱石作品は「こころ」なのですが、その「こころ」の舞台は鎌倉なんです。
それくらい実は漱石は鎌倉にゆかりが深いんですよね。
材木座にいたときの手紙も展示しています。
詳細は
施設のサイト↓